シリーズ:パレスチナ問題って何だ?
〜その11:2001年9月11日から2002年10月までの情勢〜

 皆さん、こんにちは。今回第11話は、このシリーズの最終回です。世界を震撼させた2001年9月11日のあの事件から今年の10月までの情勢についてお話ししていきます。 2001年9月11日、いつものように講義を終えて午後10時前に帰宅した私は、ニュース番組を観ようとテレビをつけました。最初は普段通りに始まったその番組に、突如アメリカからの中継が入りました。そこに映し出されたのは煙を上げる世界貿易センタービルの映像でした。その時点では小型機らしきものが衝突したらしいという報道が流れており、遊覧飛行中の小型機でもぶつかったのかと思っていました。しかし次の瞬間、今アメリカで何が起こっているのか理解しました。世界貿易センターのツインタワーのもう一棟に、明らかに旅客機と思われる思われる大型機が突っ込んだ時、私は思わず叫んでいました。「これはテロだ。」、「ホワイトハウスや他の主要機関も危ない。」。ホワイトハウスに対する攻撃はなかったものの、この後の状況は皆さんもご存知のことだと思います。

 この事件直後、アメリカのブッシュ大統領は、「今回のテロ事件は文明社会に対する挑戦であり、新しい戦争である。」と発言し、対テロ報復攻撃のための地ならしを始めました。また、今回のテロの首謀者は、イスラム過激派アルカイダのリーダーであるオサマ・ビン・ラディン氏であると断定し、「この戦いは、十字軍である。」と言い放ったのでした。これはブッシュ大統領一流の明快かつ単純な論法です。「十字軍」は、歴史上イスラムに対して行われた聖地奪回のための聖戦であり、キリスト教徒にとってみれば、この言葉は「悪に対する正義の戦い」として心地よく胸に響いたかもしれません。

 しかし、イスラム教徒にしてみればどうでしょうか?シリーズ第3話でもお話ししたとおり、「十字軍」はキリスト教徒による一方的な侵略にほかならないのです。平和に生活していたところに、十字のマークをつけて武装したキリスト教徒が現れ、罪もない人々を虐殺していったのですから。現在でもイスラム世界では、「十字」という言葉やマークには、強い嫌悪感があります。国際的な人道援助を行う「赤十字」も、イスラム世界では「赤新月」と、その名称も改められている程です。もちろん「十字」のマークも使用されていません。

 このような状況なのですから、ブッシュ大統領の「十字軍」発言は、イスラム世界全てに対する攻撃と受け取られかねなかったわけです。さすがに大統領広報官が、この後に「十字軍」発言を訂正しましたけれど。


 10月7日、アメリカは「対テロ戦争」を自衛のための戦いと位置付け、ビンラディン氏が潜伏しているとされるアフガニスタンへ空爆を開始したのです。

 このアメリカの「対テロ戦争」とイスラエル・パレスチナ紛争はどう関わりあっていったのでしょうか?以下、この一年の動きについてまとめてみます。


 アメリカで同時多発テロが発生した後、イスラム世界を中心に世界の各地で、これに拍手喝采をおくる人たちの姿がテレビで流れました。鬱積した反米感情がこういう形で噴出したのでしょう。パレスチナの人々も例外ではありませんでした。自分たちと敵対しているイスラエルの最大の支援者がアメリカなのですから。ビンラディン氏も、中東のテレビ局が放送したビデオの中で、「パレスチナに平和が訪れない限り、アメリカにも平和はない。」と語り、パレスチナ問題をテロの口実ととして利用しようとしました。

 これに対しアメリカは、テロとの戦いがイスラム
・・・敵にするものではないことをアピールするため、今までの不関与政策から一転し、「パレスチナ国家の独立も視野に入れている。」と柔軟な姿勢を見せるようになります。しかし、イスラエルのシャロン首相は、「アラファト議長は、パレスチナのビンラディンである。」と叫び、アメリカがアフガニスタンで行っている「対テロ戦争」を、パレスチナ自治区への軍事侵攻における絶好のチャンスととらえ、今まで以上に強硬路線をとるようになったのです。

 イスラエルがこの軍事侵攻を本格化させたのは、イスラエルの観光相が、10月17日パレスチナ過激派により暗殺されたことがきっかけとなっています。イスラエルには「アメリカが対テロ戦争を行っているのだから、自分たちが対テロ戦争をやるのがなぜ悪い。」という不満があるようです。この時、アメリカはイスラエルの行動に自制を求めていたのでした。イスラエル軍放送は「イスラエルはアメリカのアフガニスタン攻撃をモデルとした。」と報じ、軍事侵攻の正当化をはかったのでした。

 11月に入って、アメリカが本格的に腰をあげるようになります。対テロ包囲網構築のため中東諸国の協力を取りつけたいアメリカは、中東和平に積極的に介入することを表明し、停戦実現のために特使を送り込んだのでした。ところが、12月1日・2日にパレスチナ過激派による連続爆弾テロが発生し、27人の死亡者が出るという大惨事が起こりました。これに対し、イスラエルのシャロン首相は、アラファト議長率いるパレスチナ自治政府を「テロ支援体制」であると決めつけ、12月3日から大規模な軍事侵攻を始め、自治政府機関に対し攻撃をかけたのです。アメリカはイスラエルに対して攻撃の完全停止を求めるとともに、パレスチナのアラファト議長に対しては、テロの取り締まりと過激派の摘発を強く求めました。これを受けて、アラファト議長は自らテレビに登場し、武装闘争の禁止と、違反者に対しては厳罰によって臨む旨を直接指令したのです。実際、この後パレスチナ過激派の諸グループは、自爆テロ停止の声明を出したのです。


 しかし、1月に入って、対戦車用ミサイルなどを積んだ武器密輸船が、イスラエル軍によって拿捕(だほ)される事件が起こりました。その船長はパレスチナ人で、武器密輸は自治政府高官の指示によるものであると証言しました。この結果、イスラエルのパレスチナに対する不信感は、より一層高まることになったのです。

 この後、双方の武力闘争が再燃し、停戦へ向けての動きはわずか1ヶ月足らずで崩壊したのです。


 3月27日、イスラエルの北部で20人以上の死者を出す自爆テロが発生しました。これに対し、イスラエルのシャロン首相は、「パレスチナ自治政府議長のアラファトは敵である。」と宣言し、「イスラエルは戦争下にある。」と国民に向かって発表したのです。それと並行して、イスラエル軍は、戦車・軍事ヘリ・戦闘機を使って、パレスチナ自治区に対し大規模な軍事作戦を展開し、ほとんどの主要都市を制圧していきました。事実上の「戦争状態」です。

 ヨルダン川西岸地区(シリーズ第7話の地図をご覧下さい)は、イスラエルの再占領下におかれるになったのです。また、アラファト議長が執務をとる建物も完全に包囲されました。イスラエル軍は、アラファト議長たちのいる部屋のすぐ隣にも入り込み、彼を事実上監禁したのです。

 このイスラエルの攻撃に対し、パレスチナ側も立ち上がります。自爆テロによる攻撃です。でも、「テロ」という言葉をこの状況下で使うのは不適切であるかもしれません。パレスチナ人にとってみれば、イスラエルの軍事侵攻と戦い、民族独立を達成するための攻撃なのですから。

 イスラエルとパレスチナの軍事力の差は、大人と赤ちゃんとのほどの差があるのです(たとえがあまり良くありませんが)。イスラエルは軍事大国です。核兵器を持つと言われています(本当に持っているそうです)。その強大な軍事力を使えば、パレスチナ全土を自分のものにするくらい朝飯前でしょう。

 でもパレスチナ人の憎しみを抑えることはできません。まさに泥沼にはまりこんでしまったのです。今回のイスラエルの攻撃で、パレスチナ自治区の都市が破壊され、大量のパレスチナ市民が虐殺されたというニュースが流れました。イスラエルは外国のメディアにも自由な取材を認めていなかったので、本当に虐殺が行われたのか、また一体何人が亡くなったかなどの詳しいことはわかりません。しかし、4月18日のニュースでその街の映像が流れました。建物は破壊されつくし、ガレキの山となっていました。パレスチナ人の女性が「どんなに破壊しても、私たちの心は壊せない。」と泣きながら叫んでいたのが印象的でした。

 この状況のもと、世界各国で市民たちの反イスラエルデモが発生します。また、国際連合も動きだし、安全保障理事会で「イスラエル軍の即時撤退」が決議されました。アラブ諸国はイスラエルの行動に反発の態度を示し、ヨーロッパ諸国・ロシア・中国などもイスラエル軍の撤退を求める声明を出したのです。

 ところが、アメリカのブッシュ大統領は、このイスラエルの軍事行動を「理解できる」と発言し、イスラエルの対パレスチナ軍事侵攻を容認する態度をとったのです。

 これには、さすがに国際社会も失望しました。冷戦崩壊後、ソ連の消滅によってアメリカが唯一の超大国として世界に君臨します。湾岸戦争をはじめ、世界各地の紛争にアメリカが積極的に介入してきたことで、根本的解決には至らずとも、とりあえずの事態の収集にはこぎつけることができたのです。ですから、今回もイスラエルに言うことを聞かせることができるのはアメリカだけだ、との期待があったのです。

 しかし、この後ブッシュ大統領は一転して態度を変えます。「パウエル国務長官を派遣して本格的に事態の収拾に乗り出す」と発表したのです。アメリカはそれまでにも特使を派遣して調停をはかっていたのですが、今回は意味が違います。「国務長官」というのは外務大臣に相当するポストで、アメリカ政府の中では、大統領に次ぐナンバー2の要職なのです。そんな大物が、直接調停にやってくるのですから、国際社会は「大きな期待」を持ったのです。

 しかし、結果だけをいうと、この「大きな期待」は、まったく当てがはずれてしまいました。パウエル国務長官は何の成果も上げることができず帰国したのです。

 アラファト議長の監禁は5月2日には解除されたのですが、この間にブッシュ大統領は、「シャロン首相は平和の人である。」と発言し、パレスチナやアラブ世界から反発を招きました。この一連の言動をみてもわかる通り、アメリカの対応には首尾一貫したところがありません。本気でイスラエルの暴走を止める気があるのか、本気で中東和平の実現を考えているのか、まったく理解に苦しみます。

 しかし、この理解しがたいアメリカの行動は、何も今始まったわけではないのです。第二次世界大戦後、アメリカがとってきた中東外交は、実はこの繰り返しだったのです。これを「ダブルスタンダード」(二重基準)といいます。このアメリカの「ダブルスタンダード」に常にアラブ世界は振り回されてきたため、その分アメリカに対する反感を強く抱くようになったのです。その点からみると、アメリカの外交は首尾一貫したものと言えるでしょう。

 では、そのアメリカの「ダブルスタンダード」についてみていきます。

 第二次大戦前、それまで国際政治の上でリーダーシップをとってきたのは、かつての植民地帝国イギリスとフランスでした。しかし、戦後の国力低下と植民地解放運動の高まりの中で両国の地位は低下し、中東における影響も弱まっていきました。それに代わって力を伸ばしたのが、冷戦時代の二大超大国アメリカとソ連でした。米ソの縄張り争いは中東にも及んできました。アメリカは反ソ反共政策をかかげてイランのパフレヴィー王朝に接近しました。パフレヴィー王朝の国王パフレヴィー2世もアメリカ支援のもと、イランの近代化を推進しようとはかったのです。この欧米風の近代化によって、イランでは新たな社会矛盾が発生します。確かにこの近代化によって一部の人たちは恩恵を受けました。しかし、かたよった近代化政策は貧富の格差を増大させ、一般市民の生活は悪化の一途をたどっていったのです。当然、政府のやり方に対する反発の声が高まります。しかし、政府は
・・・・を使って言論・思想の自由を抑え込み、市民に弾圧を加えたのです。欧米風の近代化といっても、政治そのものは独裁体制であったわけです。

 しかし、1979年、イランで革命が発生し、パフレヴィー王朝は崩壊します。新しいイランの指導者となったのが、イランのイスラム教のリーダーであるホメイニ師でした。この革命をイラン・イスラム革命と言います。これは、「イスラム社会が堕落し、貧富の格差が広がったのは、今までの国王政権が欧米と結びつき、その文化に毒されたためではないか。もう一度イスラムの伝統的な教えに立ち戻り、理想的な社会をつくろう。」という考えのもとで成功した革命であり、これにより政教一致の国家が誕生したのです。このイスラム復興を目指した動きのことを、俗にイスラム原理主義といっています。

 この結果イランは欧米を敵視します。前国王パフレヴィー2世がアメリカに亡命したことで反米感情が高まり、テヘランにあるアメリカ大使館員が人質となる事件も発生しました。この事件はアメリカに「イランはテロ支援国である。」との認識を与えることになってしまうのです。

 アメリカは、このイスラム革命に強い警戒心を持つことになります。もしこの革命が他の中東諸国に飛び火すれば、アメリカの中東への影響力がさらに低下するからです。しかし、この混乱を利用して隣国のイラクがイランに攻撃をかけるという事件が発生しました。イラン=イラク戦争の始まりです。これはアメリカにとってはラッキーでした。イラクがイランの革命政権をつぶしてくれるならば、こんな都合のいいことはないということです。

 アメリカの感謝の気持ちは、具体的にイラク支援という形であらわれます。軍事支援だけでなく資金提供も行われました。しかも、アメリカは生物兵器にも使用できる炭疽菌(たんそきん)などの細菌を提供していたというのです。これは今年の10月2日の朝日新聞で報じられました。現在アメリカは、生物兵器を含む大量破壊兵器保有疑惑でイラクと対立し、対イラク攻撃の正当性を声高にアピールしていますが、この報道が真実ならばこんなお粗末なことはありません。結局は自分で蒔いた種なのです。

 イラン=イラク戦争は1980年から1988年まで続きました。勝敗はつかず、相打ちの形で終結したのです。

 この2年後に起こったのが湾岸危機です。イラクがクウェートを軍事占領した事件です。この時もイラン=イラク戦争の時と同様、イラクが先に軍事侵攻を仕掛けました。ところが、この時のアメリカの態度はイラン=イラク戦争の時とは全く違ったものとなったのです。イラクに対し、アメリカを中心とする諸国は次々に非難の声をあげ、国連も安全保障理事会でイラクの無条件撤退を決議しました。この後、アメリカを中心に多国籍軍が組織され、イラクに対する軍事行動が起こされました。これが湾岸戦争です。


 反欧米的な行動をとるようになったイランへの軍事侵攻には、非難の声もあげずすすんで支援を与え、クウェートへの軍事侵攻には、すすんで武力行使の音頭とは。これがアメリカのダブルスタンダード(二重基準)なのです。いや、御都合主義といったほうが判りやすいかもしれませんね。

 しかし極めつきは何といってもパレスチナ問題に対するアメリカの態度でしょう。この矛盾点は、湾岸危機で各国から非難を浴びせられている最中のイラクのフセイン大統領にも突かれました。「アメリカが国連の決議を実行しイラクを攻撃するというならば、なぜイスラエルに対しても攻撃をしようとしないのか。イラクにクウェートからの即時撤退を求めるというなら、イスラエルのパレスチナ占領地からの撤退が先決ではないか。」

 事実、イスラエルに対して国連安全保障理事会は、第3次中東戦争後に「占領地からの撤退」を決議していたのです。しかしアメリカは、イスラエルに対しては強硬な態度をとることもなく、事実上イスラエルの国連決議無視を容認してきたのでした。このようなアメリカの態度に、パレスチナを中心とするアラブの人たちが反感を抱くのは至極当然のことでしょう。


 今また、イラクに対する攻撃の可能性が高まってきています。10月7日に始まったアフガニスタン空爆も、ビンラディン氏をかくまったとされるタリバン政権を崩壊させたことで、12月には一応の段落がつきました。しかし、肝心のビンラディン氏の行方は一向につかめません。
 この後アメリカは、「対テロ戦争」を拡大し、各地のテロ組織やテロ支援国家を標的にする方向を示していくことになります。この状況の中で、テロ支援国家が生物兵器や核兵器などの大量破壊兵器を密かに開発しているのではないかという疑念を強めたアメリカは2002年の月にイラク・イラン・北朝鮮の3国を名指しで批判しました。ブッシュ大統領がこれら3国を「悪の枢軸」であると発言したのです。

 「枢軸(すうじく)」という言葉は、もともと第二次世界大戦の時の、日本・ドイツ・イタリアの同盟関係を表す言葉として使われていたものでした。これら3国は当時ファシズム体制をとっていた国でした。人権を無視したファシズムは悪であるという考えが一般的であるため、「枢軸」という言葉は「悪者」というニュアンスを帯びるようになったのでした。

 その言葉をブッシュ大統領は使ったのです。イラク・イラン・北朝鮮の3国は「悪者の連合だ」という訳です。お得意の明快かつ単純な論法がここでも登場しました。ブッシュ大統領は、9月11日の同時多発テロ以来、「悪に対する正義の戦い」、「われわれの側につくかテロの側につくかどちらかだ」、「十字軍」といった発言をくり返してきました。このような善悪二元論的なとてもわかりやすく、またハリウッド映画のアクション物にも使えそうな発想で、事が解決するのでしょうか?


 ただし、弁護のために言っておくと、こういう発言はブッシュ大統領に限ったことではありません。米ソ冷戦時代のレーガン大統領も、ソ連のことを「悪の帝国」と呼んで非難していたのです。

 今、イラクをめぐる問題は、大量破壊兵器開発疑惑に対する査察をイラクが受け入れるかどうかでゆれています。アメリカは「武力攻撃」というカードをちらつかせながら、イラクに圧迫を強めています。また、イラクのほうも、9月に「無条件で査察を受け入れる」と表明しながらも、その後に条件をつけてくるなど、曖昧な態度をとっています。アメリカの態度をみていると、どうしてもイラクを攻撃したいとしか思えません。

 実際、アメリカは「先制攻撃もやむなし」という考えを発表したのです。現在の国連憲章では、先制攻撃は認められていません。武力行使が認められるのは、攻撃を受けた国が自衛の行動に出る場合と、国連安全保障理事会が平和維持のために必要であると判断した場合に限定されています。もし、アメリカがこれを無視して先制攻撃に出れば、現在の国際法秩序が崩壊しかねない危険性があります。また、国連そのものの存在意義を問われることになるでしょう。こういった批判は特にヨーロッパ諸国から強く出ています。


 また、もし戦争になればアメリカとイラクだけの戦争にとどまらない可能性があります。1991年の湾岸戦争の時、イラクはパレスチナを占領し続けているイスラエルにミサイルを撃ち込みました。イスラエルを戦争に引きずり込むことで、この戦争をアメリカ=イスラエルに対するアラブの戦いに持ち込むことを狙ったのです。しかし、この時はアメリカがイスラエルを説得したため、イスラエルは軍事報復を思いとどまりました。イラクのフセイン大統領の思惑ははずれたのです。しかし、現在イスラエルのシャロン首相は、もし今後イラクからの攻撃があれば必ず報復すると主張しています。そうなれば中東全域に戦争は拡大し、泥沼の状態に陥ってしまうでしょう。

 パレスチナをめぐる混迷の状況は、今なお続いています。2000年9月以来の紛争で2000人以上の死者が出ていると報じられています。パレスチナの人々の憎悪の念は深まり、自爆テロの志願者も当初は男性に限られていましたが、今年に入ってついに女性による自爆テロも発生しました。パレスチナではイスラエルの占領・抑圧に対する自爆攻撃は「殉教」の道であるという考えが生まれていました。その「殉教」は男性に限定されていたのですが、この事件は女性にも「殉教」の道が開かれたという意味を持ったのです。この後、女性の自爆テロが続き、今ではこの波は子供にまで及んでいるのです。

 イスラエルは、自国の領土と占領地の境界にコンクリート製の壁をつくり、自爆テロ者の侵入を阻止しようとはかっていますが、もちろん根本的な解決とはなりません。シャロン首相の強硬政策は、全く出口の見えない状況をつくり出してしまったのです。


 2年にわたりこのシリーズを扱ってきました。この問題は今後もまだまだ続くことになるでしょう。今後どのような形で事態が進むのかわかりませんが、今回でとりあえず終止符を打つこととします。
 このシリーズを通して、歴史や現在世界で起きていることに関心を持っていただけましたなら幸いです。


 次回以降、また新しいテーマを扱っていこうと思っています。

 では、また。