第3話:パレスチナ問題って何だ?
〜その3:キリスト教社会から迫害を受けるユダヤ人〜

 新年明けましておめでとうございます。いよいよ2001年、21世紀の幕開きですね。この2001年というのは、もちろん西暦のことですが、西暦というのはイエス=キリストが生まれた年を紀元元年とする暦のことです。つまり今年は、イエス=キリスト生誕2000年の年にあたるのです。

 このキリスト教徒にとって記念すべき本年の一回目にお送りするシリーズ第3弾のテーマは、「キリスト教社会から迫害を受けるユダヤ人」。ちょっと皮肉な感じがしますが、何もしくんだわけではありません。なりゆき上たまたまこうなってしまったのです。他意はありませんので悪しからず。

 
  1世紀頃
 さて、前回ではユダヤ教・キリスト教・イスラム教の成立とその内容についてお送りしました。今回はローマ帝国の時代から話をすすめていこう思います。

 ローマ帝国はとても大きい領土を作りあげた国で、ユダヤ教徒たちも紀元前1世紀にはその支配下におかれることになります。この後、イエスが生まれキリスト教が成立したことは前回お話ししましたね。当時の状況を地図で見ると右のようになります。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地エルサレム
(第一学習社版 最新地理図表より)
  しかし、ユダヤ教徒たちは自分たちは神と契約を結んだ唯一の民族であるとのプライドを捨てず、ローマ帝国の支配に従おうとしませんでした。そして今から約1900年前に二度にわたりローマ帝国に対して反乱を起こしますが、無惨にも敗れ、彼らの神殿も破壊されてしまいます。

 この神殿の一部が現在もエルサレムに残っている「嘆きの壁」というやつです。(写真左側手前)


 この結果、ユダヤ教徒たちはエルサレムに住むことを禁じられ、各地に離散していくことになります。これを「ディアスポラ」(蹴散らされた者)といいます。このあとユダヤ教徒たちは20世紀になってイスラエルを建国するまで、流浪の民としての生活を送ることになるのです。
 一方、キリスト教はローマ帝国内で次第に信者を増やし、ついにはローマ帝国から国家宗教としての地位を与えられることになります。ローマ帝国そのものは、今から約1600年前に東と西に分裂し、それから約100年後に西ローマ帝国は滅びていきます。その後の西ヨーロッパはゲルマン人たちが活躍する時代に入り、現在のイギリス・フランス・ドイツ・イタリアなどの国々の母体が生まれていきました。

 キリスト教はローマ帝国という強力な保護者を失ったあとも、ゲルマン人の王や貴族に保護されて西ヨーロッパで絶大な力を持つ宗教勢力として発展していくことになるのです。


 それではパレスチナ地方をめぐる国際状況はどうなっていくのでしょうか。こちらのほうは少々複雑です。ローマ帝国が東西に分裂してからは、しばらくの間は東ローマ帝国(ビザンツ帝国)のもとにおかれる状態が続きます。

 ところが、今から約1400年前にアラビアでムハンマド(マホメット)がイスラム教をつくり、アラビア半島を統一すると強力にイスラム勢力が強大化し、ムハンマドの死後、その後継者(カリフ)たちによって異教徒に対する聖戦(ジハード)が始められ、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)からエジプトやシリア、そしてパレスチナ地方を奪いとってしまいます。

 これ以後、パレスチナはイスラム勢力が支配する場所となり、アラブ人たちがやってきてユダヤ教徒やキリスト教徒とともに暮らすようになります。
5世紀頃 7世紀頃
 
 イスラムのユダヤ教徒やキリスト教徒たちに対する支配は寛容なものでした。税金さえ払えば、彼らの信仰を保障すると約束したのです。


 再びヨーロッパの方へ目を向けてみましょう。今から1000年前ぐらいになると西ヨーロッパの社会も安定し、キリスト教も一般市民の間に広く行きわたり、その信仰心も確固たるものとなっていきました。

 このような宗教的情熱の高まりから発生したものが「十字軍」です。今から900年前に始まり、その後約200年にわたって西ヨーロッパから軍隊が送りこまれイスラムと戦うことになります。その目的は聖地エルサレムをイスラムの支配下から奪還することにありました。パレスチナに入った十字軍の兵士たちはそこの住民を大量に虐殺し、エルサレム王国を建設します。この国はすぐにイスラムの反撃によって倒され、十字軍そのものも結局のところ失敗に終わります。

 このキリスト教徒たちのとった大量虐殺をともなう一連の行動は、宗教的に寛容なイスラムの人たちには理解しがたいことでした。

 また、この時期、ヨーロッパのキリスト教社会で、ユダヤ教徒に対する迫害が始めて具体的な形となってあらわれました。もともとキリスト教社会では、ローマ帝国時代にキリスト教が国家宗教になった頃から、「ユダヤ教徒は、神なるキリストを十字架にかけて殺した罪人」という思想が生まれていました。これが迫害の宗教的な根拠です。

 しかし実態は、人間的な欲にまみれた汚いものでした。元来、ユダヤ教徒たちは祖国なき民としての不安定さのため、いつ・どこの場所に引っ越さなければならなくなったとしても困らないように、お金を蓄えておくことが習慣でした。キリスト教の迫害の隠された意図は、略奪にあったのです。

 実際、十字軍が始まると、その参加者たちは次々とユダヤ教徒を襲撃し虐殺していきました。異教徒征伐にかこつけて、資金の調達を行ったのです。以後、ユダヤ教徒に対する迫害は強さを増していきました。土地を持つことも制限されたため、農業を行うこともできなくなり、ほとんどすべての職業に就くことも禁止されました。しかし、唯一の残された職業がありました。金貸し業(高利貸し)です。

 それまではキリスト教の教会や修道院が博愛主義の立場に立って困っている人にお金を貸すことになっていました。しかし、その実態は高利貸しそのものだったので、キリスト教会は利息のともなうキリスト教徒間のお金の貸し借りを禁止したのです。

 その結果、ユダヤ教徒たちがこの仕事に就き、生計を立てていくことになりました。けれども、このことはユダヤ教徒に対する憎しみや差別の感情を増幅させることになってしまいます。以後もヨーロッパでは、天災や凶作、また政治の混乱や伝染病の流行など、何かことがおきるたびにユダヤ教徒に対する迫害が続いたのです。

 今回はここまでです。このシリーズはもうしばらく続きます。では、次回をお楽しみに。