第17話:障害を持つ人たちの歴史
〜 古代(2) ・ 中世、そして現在 〜



 

 このコーナーを担当して、2年目を迎えることになりました。昨年は、バタバタしていたのと、少し精神的に「しんどい」状態が続いたことで、2度もサボってしまいました。途切れ途切れになってどうもすみません。
 さて、障害を持つ人たちの歴史の2回目にして完結編です。

古代(2)

 前回は、『古事記』や『日本書紀』に記された障害を持つ人たちについて紹介しました。今回は、説話集に記された内容を紹介するところから始めます。

 日本最初の説話集は何でしょうか? そう、『日本霊異記』です。ここに、行基という僧侶について記されています。行基は、慈善事業を行ったことでも知られていますし、東大寺大仏造営の際には、「勧進聖」(大仏をつくるために、その費用=今で言うカンパを集める仕事を任された僧侶)になって活躍した人物です。その行基にまつわる話に、障害を持つ人のことが記されています。話はこんな内容です。

 ある時、南河内で行基が説法をしていた時のこと、10歳余りの子ども(障害児)を背負った女がやってきました。その子どもは泣き叫ぶばかりで、全く聞き分けがありません。食べ物は人一倍貪り食うくせに泣きわめくばかりでした。行基は、この子を見つめ、母親に子どもを川に捨てるよう命じました。

 母親はいくら行基の命じたことでも、我が子を捨てることはできず、困っていたのですが、とうとう子どもを捨ててしまいました。川に捨てられた子どもは、本当の姿(魔物)になり、「私は前世でお前に物を貸したが、生きている間は返してもらえそうにないので、こうしてたらふく食うことで取り返そうとしたのだ」と言って川に流れていった。


 この話は、行基の眼力のすごさを讃える話なのですが、別の見方をすれば、障害児者=魔物として記されています。また、障害児者は川に捨てられていたことがわかります。つまり、行基という大変すぐれた僧侶の話といえども障害児者を差別する人間であることがわかります。

 この話以外にも『今昔物語集』にも盲目の僧侶の話がありますし、それに関連して、各地を遍歴しながら、『平家物語』を語る琵琶法師を思い出していただくと、意外にもたくさんの障害児者が生活していたことが理解してもらえると思います。



中世

 古代の終わりから鎌倉時代にかけて、たくさんの絵巻物が描かれました。なかでも、僧一遍の障害を描いた『一遍上人絵伝』(一遍聖絵)は、教科書にも必ず掲載されている作品で、当時のことがよくわかる貴重なものです。そのなかに、歩けないので「いざり車」(今で言えば、車椅子にあたります)に乗った上半身裸の男が描かれています。さらには、両手に下駄のようなものをつけて動いている人の姿もあります。

 室町時代に盛んになった能の脚本(謡曲)にも障害を持つ人を扱った作品があります。『弱法師』というものです。登場するのは、『一遍上人絵伝』にも描かれていた車椅子に似た道具に乗っている主人公です。河内国高安の長者の息子俊徳丸は、ある人のデマにより父親から家を追われ、悲しみの余り盲目になってしまい、四天王寺周辺をよろめき歩く。ある春の彼岸の日、デマが誤解とわかり、四天王寺参詣に訪れた父親と俊徳丸は涙の再開を果たす。こういうストーリーです。

 この話には2つのポイントがあります。1つは、仏教の功徳といった考えが背後になること。2つ目は、四天王寺という場所です。四天王寺は、聖徳太子が創建して以来、いくつもの慈善救済施設がつくられていて、中世になっても障害者や乞食などがこの寺の周辺で生活していました。

 これ以外に、謡曲には障害を持つ人を題材にしたものがあり、内容の紹介はしませんが、『月見座頭』という盲目の人の話や、『三人片輪』という3人の障害者(視覚・聴覚・肢体不自由)の話があります。


 こうしたどちらかというと難しそうなお話ではなくても、皆さんがよく知っているお話の中にも、障害を持つと考えられるお話があります。何かわかりますか?『御伽草子』の中にある「一寸法師」です。



現在

 さて、話は歴史から一挙に現代に飛んでしまいます。このコーナーを続けてお読みいただいている方にはご理解いただけると思いますが、私は最近、ベトナムの障害児教育・福祉セミナーのメンバーとして、ベトナムの障害児や日本の障害児者のことを考える機会がありました。

 本業は歴史研究なのに、障害児教育や福祉にまで手を広げ、自分が何を専門に勉強しているのかわからない状態になっています。それはそれで自分自身の勉強にもなりますし、楽しいことなのですが、その勉強を通して私が学んだことを少しだけ付け足してみたいと思います。

 一口に「障害児者」といいますが、じゃあ、その「障害」とは何をさしているのでしょう。これは、国際的な約束があります。WHO(世界保健機関)が1980年に発表した「国際障害分類試案」(1993年に「試案」が取られ、「国際障害分類」になりました)では、

 (1)機能障害(impairment)=インペアメント
  心理的、生理的、解剖的な構造または機能の喪失または異常→身体機能や精神機能が標準(ノーマル)な状態から何らかの「ズレ」がある。

 (2)能力低下(disability)=ディスアビリテイ
  人間として正常(ノーマル)と見なされる態度や範囲で活動していく能力の機能障害に起因する制約や欠如→自己認識、言語理解、排泄のコントロール、衣服の着脱、歩行、姿勢の保持など日常生活における標準(ノーマル)からの「ズレ」。

 (3)社会的不利(handicap)=ハンディキャップ
  機能障害や能力低下の結果として、その個人に生ずる不利益であって、その個人にとって(年齢、性別、社会文化的因子からみて)正常な役割を果たすことが制限されたり、妨げられたりすること→自立、社会活動への参加、移動、作業、社会的評価などにおける不十分な保障。

 この3つのレベルを理解することから始まります。日本では障害者基本法(第2条)で「この法律において『障害者』とは、身体障害、知的障害、又は精神障害があるため、長期にわたり日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける者をいう」と定義づけられています。


 ところで、こんな言葉を聞いたことがありますか?「ノーマライゼーション」というのですが。
 詳しい説明は省きますが、高齢者や障害者などハンディキャップがあっても、すべての人が当然持っている普通の生活を送る権利を保障し、差別されない社会をつくるという考え方です。これに関連して、1996年〜2002年にかけて「障害者プラン(ノーマライゼーション7か年戦略)」が進められています。

 現在進行中のことですから、簡単に評価を下すことはできませんが、どうもうまく進んでいないように思えます。というのも、現在進められている社会福祉基礎構造改革という政策は、国が財政的な援助をできるだけ抑え、本来、公的な機関や施設が行うべきことを民間委託に委ねる(福祉の市場化)やり方だと思えてなりません。

 その典型が2000年4月から実施された介護保険ではないでしょうか。お年寄り・子ども・障害児者という「社会的弱者」をどう守っていくのか、ということが社会福祉の原点だと考えると、財政的な支援を可能な限り削減するという今のやり方は、社会福祉とは縁遠いものになっているように思えてなりません。

 うまく、私の話が伝わらなかったかもしれませんが、社会福祉の問題は、「他人ごと」では決してありません。私を含め皆さんの問題です。それをどうしていくのかは、厚生労働省のお役人と一部の政府側専門家(いわゆる学識経験者や知識人)が決めることではないのです。

 基本的人権を誰もが持っています。日本国憲法第25条は、「絵に描いた餅」=努力目標ではありません。どう実体化させるかは私たち一人ひとりにかかっています。