シリーズ:パレスチナ問題って何だ?
〜その4:イスラム世界の繁栄と衰退〜

 皆さん、こんにちは。今回でこのシリーズも第4回目に入ります。前回は主に、中世のキリスト教社会でなぜユダヤ教徒が迫害されたのかについてお話ししました。今回は十字軍以降のイスラム世界を中心にお話ししていこうと思います。
  16世紀頃
 キリスト教徒による十字軍を撃退したイスラム世界は、その後もますます繁栄を続けていきます。イスラム教徒たちはとても大きな領土を作りあげました。ヨーロッパの一部から北アフリカ、中東、中央アジア、インド、そして東南アジアにまでその支配は及んだのです。

 もちろんそれぞれの地域によって王国は異なります。このうち最も大きな勢力を持ったのがオスマン=トルコ帝国です。この国はヨーロッパから北アフリカ、そして中東をもその勢力下においたほどの大きな国です。ビザンツ帝国(東ローマ帝国)もこの国によって滅ぼされてしまいました。
 
 この国の支配者はトルコ人です。イスラム世界はもともとムハンマド(マホメット)たちアラブ人が中心となって支配してきたところだったのですが、時代とともにトルコ人の力が強くなってきて、中東に住むアラブ人たちは、このオスマン=トルコ帝国の支配を受けることになってしまいます。いずれアラブ人はトルコ人支配からの独立運動を始めることになるのですが・・・・・・・・。
 
 その話はともかく、なぜイスラム世界が長く繁栄できたのかというと、それはイスラム世界が世界経済の中心地であったからなのです。
 
【図1】  図1のようにヨーロッパとアジアを結ぶ貿易路にシルクロードと海の道というのがあります。

 現在のように自動車も飛行機もない時代ですから、シルクロードではラクダが、海の道ではもちろん船が、輸送手段として使われていました。イスラム世界は、この世界貿易の大動脈が通る所であり、イスラムの商人が貿易の主役でした。

 ところが、16世紀頃から事情が変わってきます。ヨーロッパ人が世界貿易にのりだしてきたのです。中世のキリスト教世界では、この地球が球体ではなく平らな板のような物で、遠洋航海は難しいと考えられていました。

 しかし、しだいに地球球体説が唱えられ、また羅針盤の改良や造船技術などの進歩などもあって、直接アジアに向かおうとという冒険者が登場してきたのです。
 当時アジアにはジパング(日本のこと)というところがあり、黄金がいっぱいとれる国と信じられ、また、インドはヨーロッパ人が重宝した香辛料(スパイス)の国と考えられていたのです。もし、イスラム世界を通らないで、直接これらの場所に行けたとしたら・・・・・・・。こんな一攫千金の夢を見て、大洋の荒波に乗り出していったのが、コロンブスとヴァスコ=ダ=ガマです。

 ヴァスコ=ダ=ガマは、アフリカの南端をまわり、ついにインドへのルートを見つけた人です。一方、コロンブスは地球球体説を信じてヨーロッパから西へと旅立ちます。このほうがインドやジパングへの最短ルートと考えられていたからです。しばらくの航海の後、コロンブスは陸地に到達します。彼はここをインドであると信じました。しかし、実際はヨーロッパ人にとって未知の大陸「新大陸」(アメリカ大陸)だったのです。ちなみにこの大陸の先住民を、スペイン語でインディオ、英語でインディアン(ともにインド人の意味)と呼ぶのは、コロンブスの誤解が起源となっているのです。
  
【図2】  ヨーロッパ人が新大陸に到達したことは、今後、ヨーロッパの発展にとって大きな意味を持つことになりました。南米に巨大な銀山が発見され、その大量の銀がヨーロッパに流れ込むことにより、ヨーロッパ経済が成長するきっかけとなったのです。また、アジアとの貿易にもこの銀が使われ、ヨーロッパが世界貿易ネットワークの中心的地位を占めるようになっていくのです。


 図1と図2を比べてみて下さい。
 
 この16世紀からの貿易ルートの大転換によって、中東を中心とするイスラム世界が世界貿易の中心からはずれてしまったことがわかると思います。
これを一つのきっかけとして、長く繁栄を続けてきたイスラム世界が衰え始めることになるのです。

 また反対に、ヨーロッパ世界はこれ以後力を強め、18世紀から産業革命を体験し資本主義経済を確立させていくことになります。19世紀に入ると、オスマン=トルコ帝国を含むイスラム世界は、絶大な力を持ったヨーロッパの列強によって征服されるという暗い時代を迎えることになっていくのです。