第28話 2003年新春第1回 お年玉?
〜ベトナムのこどもたち〜



 

 昨年11月「ベトナムの子どもたち」というお話をしましたので掲載していただきます。

「2003年 未年 明けましておめでとうございます。 今年もどうかよろしくお願いします。」


〜まず、受験生のみなさんへのメッセージ〜
 もうすぐセンター試験ですね。まず2日間の長丁場です。受験する教室によっては熱すぎたり逆に寒かったりと大変です。体力勝負のようなところがありますから、まず今の時点で一番注意すべきことは−

(1)普段(昼型)の生活を守ること。
いつまでも夜型の生活してたらだめですよ。夜中が絶好調だ!なんて、センター試験は朝から夕方までですぜ。そうじゃないと試験監督の先生持たないよ。何しろ言っちゃあなんですがお年を召した方が結構いらっしゃる・・・!

(2)風邪に十分注意しましょう。
風邪ひきかけてるならさっさと寝なさい。その方がよっぽどマシ。熱にうなされて試験なんて受けられませんよ。

(3)今こそ基礎学力を点検しましょう。
大体センター試験は怪しげな難関私大の入試(いわゆるチョー難関校の)じゃないんです。もう一度教科書や慣れ親しんだ参考書・予備校のテキストなどを見直してください。くれぐれも「今からでも間に合う・・・」なんていう参考書や問題集に手をつけないことです。


〜次にこのコーナーをお読みいただいている(?!)方たちに〜

 さて、受験生のみなさんへの年頭のご挨拶はこれくらいにして、2003年第1回のこのコーナーに何を記せば良いか考えたのですが、あまり良い案がありませんでした。そこでと言ってはなんですが、昨年11月中旬に私が勤務先の大学の学園祭でお話した内容の主要部分を改めて掲載していただくことにしました。と言って「お年玉」というほどのものじゃありませんが、お読みください。

 私がお話した内容はと言いますと、言わずと知れた例のベトナムに関するお話で、タイトルは「ベトナムの子どもたち」というものです。当日わざわざ聞いてくださったみなさんに感謝しつつ、ちゃんと聞けなかったからもう一度話してというごく少数の方のリクエスト(?!)にお応えして、そのあらましを掲載します。では早速はじめましょう。


 「ベトナムの子どもたち」2002年11月17日 種智院大学学園祭企画
(この内容は私が準備した報告内容の後半で話の中心にあたるものをそのまま掲載しました。)

 この数年私が行っているベトナムの子どもたちについて報告したいと思います。但し、私は日本ベトナム障害児教育・福祉セミナーという小さなNGOのメンバーで、ベトナムの障害児者に関しては少しは知っているものの、子どもたち全体については知らないので、いくつかの本を通じて知ったこととと、ベトナムに行って私が経験したことを織り交ぜてお話することにしたいと思います。


 まず、2002年版『世界子供白書』からの統計を紹介したいと思います。なお、これからあげる数字は2000年を基本としています。つまり、2000年でいくらか、ということです。

 第1に、5歳未満児の死亡率(出生時から満5歳に達する日までに死亡する確率で、1000人あたりの死亡数)は、39人、ユニセフ(国連児童基金)の順位は89位です。ちなみに日本は4人、187位です。いかに日本が恵まれているかはこの数字でもおわかりいただけると思います。

 第2に、1歳未満の乳幼児死亡率。これも1000人あたりの死亡数で、30人です。日本は4人です。

 第3に、年間出生数は、157万6000人。日本は120万9000人です。

 第4に、成人識字率(15歳以上で読み書きできる者の比率)は93%で、男96%、女91%です。なお、小学校の1年生に入学した子どもが5年生に達した比率は、1995〜99年で78%です。同じ期間の純就学率は男が95%、女が94%ですから、途中で退学していることになります。女の子が教育を受ける機会が少ないということが読みとれます。但し、インドや中国ほどには女性を低く扱う国ではないように私は思っています。というのも、私がベトナムでお会いする障害児教育や福祉に関係する先生方や施設長さんたちに女性が大変多いからです。そして皆さん本当に一生懸命に仕事をされています。そういう風に考えますと、ベトナムは女性への差別が比較的ない国だと思います。おそらくベトナム戦争の時、男性・女性に関係なくアメリカと戦った経験が反映されているのかもしれません。もう1つ小学校の退学についてですが、後で詳しくお話するように、ベトナムと日本とでは教育制度が異なりますので、少し考えないといけないことがあります。

 第5に成人のエイズ感染率。これは1999年の数値で、エイズ感染者を15〜49歳までの成人人口で割った数値で、0,24%です。日本は0,02%です。丁度日本の12倍です。これは多いと言わざるを得ません。

 以上、一見すると無味乾燥とした数字ですが、ベトナムは確かに日本に比べると遅れているとはいうものの、中堅国に入れてもいいような数値を示しているといえましょう。但し、そうは言っても一つひとつの実態を注意深く見ていくとなかなか大変な国であるとも言えます。


 この大変さについては、インターネットで検索すると、ベトナムの子どもたちが抱えている現状を知ることが可能です。少し古いデータですが、セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン(SCJ)が開いているホームページにいくつかの情報が載っています。それを利用して述べましょう。

 第1に、ストリートチルドレンがいます。

ストリートチルドレンは、ハノイとホーチミン両市に2万2000人いるとされています。「ホーチミン市のストリートチルドレンの42%が文盲である」という指摘もあります。東京で小学校の先生をされていた小山さんは、フエという中部の都市に彼らが暮らす施設を作っています。また、私がホーチミン市に住む友人に連れて行っていただいたお店は、白石尋さんという方が開かれたお店で、白石さんは、元ストリートチルドレンや孤児たちを店員として教育しながらスタッフとして雇い、ベトナムの家庭料理店を経営されています。

私も昨年の3月と8月のベトナム行きでも利用させていただきましたし、私につきあった学生たちもそこでおいしい料理を安い値段で食べました。こういう活動をしている日本人もいるのですが、残念ながらストリートチルドレンは現在もたくさんいるのです。少し緩和されてきたかも知れませんが、ホーチミン市のストリートチルドレンの「半数の子どもは売春している」とも考えられています。


 第2に、児童労働についてです。

ベトナムは1986年、これまでの社会主義経済を緩和し、ドイモイ(刷新)とよばれる市場経済を組み込んだ経済に移行しました。これまでの社会主義経済は、よく言われるように「貧しさを分かち合う社会主義」(古田元夫)だったわけですが、ドイモイ政策の採用以降、「豊かになれる人から順に豊かになる」という経済に変化しました。その結果、貧富の差が広がり、子どもたちは働きはじめています。但し、どれくらいの子どもたちが働いているのかはわかりません。

ただ、ユニセフやILOなどの国際組織はベトナムを危惧すべき状況にある国と見ており、苛酷な労働、売春などが行われている国の一つに指定しているようです。最近は少し減ってきたように思いますが、ホーチミン市内を歩いていると、物売りの子どもたちが寄ってきて、煙草・ガム・船の土産品などを持って買ってくれと声をかけてきます。2000年にベトナムに初めて行った時、靴磨きの少年が、「みがき、みがき」と日本語でいいながらつきまとって困ったこともありました。


 第3に、児童買売春について。

10〜17歳の子どものうち8000〜1万2000人が性的搾取を受けていると考えられているのですが、別の文献では「ベトナムでは性の売買が急増しつつあり、その犠牲者の多くが子どもたちである。ホーチミン市だけで、5万人が売春しており、その半数近くが16歳未満の子どもである」と述べてあります。

これに関して少し私が調査させていただいたホーチミン市の施設について紹介しましょう。性的虐待を受けた子どもたちを受け入れる施設「温かい家」(ワームシェルター)という施設についてです。ここには、9歳から19歳までの23人の女の子が暮らしています。彼女たちが何故この施設に入ることになったかと言いますと、親や近所の人からの性的虐待を受けたからです。ベトナムでは2度性的虐待を犯せば、逮捕されることになっているのですが、性的虐待を見つけることは非常に難しいそうです。

8月に行った時に彼女たちをインタビューをした記録もあるのですが、女性の施設長さんは、虐待を受けた子どもたちを回復させるために様々な努力をされているようでした。この子どもに対する性的虐待は日本でも起こっていますし、そこに共通するものがあると思われますが、見学の際に施設長さんから伺った児童買売春の内容は、私にすればとてもショックなことでした。

それはこういうことです。ベトナムからカンボジアに売春を目的として売られた子ども15人をその施設で受け入れる準備をしているのだというのです。やはり、そういう人身売買がなされているのかということがわかりました。しかも、施設長さんのお話によると、子ども一人は70ドルで売られ、そのうち40ドルを家族が受け取り、残りの30ドルを人身売買の組織が受け取るのだ、というのです。私がベトナムに行った時の円とドルの交換レートはおよそ一ドル=120円でしたから、子ども一人が8400円ということになります。皆さん子ども1人の値段が1万円にも満たないのです。これは本当にショックでした。

帰国してからも何度もこのことを思い出しました。「子ども1人が、たったの8400円、そんな馬鹿なこと」と。同じようにインターネットで検索をかけてみますと、1999年の例ですが、クアンニン、ランソン、カオバンといった国境近くの省では女性の売買市場があることを紹介しています。ということは、先程私は、ベトナムでは女性蔑視があまりされていないと言いましたが、それは訂正する必要があるでしょう。知識人や都市部の比較的豊かな階層ではそうだが、農村部や庶民の中ではまだそんなに変わっていない、というべきなのかもしれません。


 第4に、障害を持つ子どもたちについて。

資料によると16歳以下の子どものうち、6万〜12万の子どもたちが障害を持っているといいます。その中にはベト君やドク君(彼らはもう20歳を越え、ドク君はこれまで生活していたホーチミン市内のツーヅー病院で働いていますが、ベト君は脳炎を患い、ほとんど見えず聞こえずで、ベットで寝たきりに近い生活を送っています)ような障害児もいますが、日本と同様に、視覚障害児、聴覚障害児、知的障害児がたくさんいます。自閉症の子どももいますし、ダウン症の子どももいます。

これについても、今年の8月に見学させていただいたホーチミン市内にあるチゲ障害児孤児センターのお話をしてみましょう。このセンターも女性の施設長さんでした。施設はカトリック系の施設で、とても洗練され、清潔な施設でした。ここに530人の子どもが入所していて、うち353人は障害を持つ孤児です。

いいですか、障害児だけではなく障害を持つ孤児です。わかりますか。つまり、障害を持っているために、出生直後に親から捨てられた子どもたちなのです。障害児というだけでも様々な問題を抱えているのに、これに加えて捨てられた子どもという悪条件が重なります。この施設の施設長さんも女性の方でしたが、この方のお話もやはりつらいものでした。「障害を持って生まれた子どもは生まれてすぐ親から捨てられます」というお話でした。

ところで、ここでは175人ものスタッフが子どもたちの世話をしていました。子どもたちはリハビリを中心にとても大切にされていました。私たちが寄せていただいた時、丁度子どもたちはシャワーを浴びる時間だったようで、それぞれの子どもたちが抱きかかえられ、シャワーを浴びてさっぱりし、石鹸の良いにおいをさせてベットに横たわっていました。

先程ベトナムの教育制度は日本とは違うといいました。それはこういうことです。日本では年齢主義です。だから、義務教育期間中は、6歳になれば小学校に行き、毎年学年が上がっていきます。ところが、ベトナムは課程主義を採用しています。出発は日本と同様6歳ですが、学年の終わりに全国統一試験があって、それをパスしないと次の学年に進級できません。そして、健常児・障害児の別なくこの試験をパスしないと次に進めないとされています。つまり「落第」というものがあるのです。

日本でも高校以上は課程主義を採っていますから、まれに「ダブリ」の学生が出るのですが、これを義務教育段階から採用しているのです。ということはどうなるでしょうか。障害を持つ子どもたちは、場合によってはこの試験に合格できず、勿論進級できず、ついには退学するという子どもが出るということです。

障害児にとれば決定的に不利な制度です。もともと貧しい家庭が多い障害児は、学校に行くことも難しく、行っても試験に落ちてしまうのです。しかも、教員養成を行う師範大学(日本の教育大学です)にはようやく障害児教育学科が誕生してばかりで、今のところ専門の勉強をし終えた教員はほんのわずかしかいないのが現状です。


 第5に、難民の子どもがいます。

私はこの点については全く知らなかったのですが、資料によると、海外の難民キャンプで生活している16歳以下の子どもは約1万人いるそうです。1975年のベトナム解放後、ベトナムからボートピープルとして出国し難民キャンプで生活している子どもたちがいるということです。


 第6に、地方で生活する少数民族の子どもたちの問題があります。
先程お話したようにベトナムは54もの民族から構成されている国です。総人口のおよそ13%、約900万人の人々を占めているそうですが、彼らの生活は貧しく、就学人口は4,2%に過ぎないのです。


  こうした6つの問題は、日本以外のアジアの子どもたち全体に共通していることです。買売春1つをとっても、日本とベトナム、あるいは日本とアジアの子どもが抱えている問題は大きく異なります。但し、社会の歪みや問題は、女性や子どもといったより弱い人々により強い影響を及ぼすということは共通しています。金持ちより貧しい人、男性より女性、大人より子どもにという具合にです。ですから、子どもの内、女の子が、そして障害児が直接的な影響を被ると言えます。そこをどうするか、といっても一足飛びに解決することは不可能です。


まとめにかえて

 私たちは今、JICA(国際協力事業団、外務省の外郭団体)の援助を受けて、ベトナムの障害児教育の教員養成に関係する仕事に協力しはじめていますが、どこか自分でできるところから協力していくしかないだろうと考えています。そのためにはまず知ることから始めないと仕方がありません。

 知るということは、例えば私のように現地に行く、ということでもありますし、様々な本を読んで知るということでもあります。あるいはインターネットで検索して知ることもできます。色々な知り方が現在では可能です。それらすべてを利用できるのにこしたことはありませんが、実際はなかなかそううまくはいきません。でも、何か1つでもいいです、自分の好きなことに対してしっかりとした知識を持つということは必要だろうと思います。それが大学でやる勉強です。自分で自分の興味関心を持ってきちんと知るということです。みなさんがそういう勉強を是非して欲しいと私は思います。

 拙い私の報告を最後まで聞いてくれたみなさんに感謝すると同時に、こういう機会を与えてくださった学園祭実行委員会のみなさんに改めてお礼の言葉を申し上げて私の報告を終わります。どうもありがとうございました。