第19話 ベトナム障害児教育・福祉紀行
〜 3度目のベトナム 〜



 
 
 3月2日から10日まで、ベトナム(ハノイ・ホーチミン)に行ってきました。これまでこのコーナーを読んで下さっている方にはご理解いただけると思いますが、私は2000年8月からベトナムに行き始め(最初は物見遊山の軽いツモリでした),昨年8月に2度目の,そして今回で3度目の渡越ということになります。

 今回の目的は,私も関係する日本・ベトナム障害児教育・福祉セミナーの下準備とホーチミン市にある幼児師範学校内に設置された障害児教員養成コースの卒業式に参加することでした。

 本来,日本近代史を勉強している私が,ベトナムの障害児教育・福祉と係わっているのは何とも場違いな気がしないでもないのですが,最初のとっかかりがこのセミナーでしたし,私なりに少しでも協力できれば,という思いと私自身の勉強が広がるという理由から参加しています。


 さて,今回はハノイ師範大学障害児教育センターの協力で2つの学校に行くことができました。また,ハノイ赤十字社とホーチミン市の障害者支援センター,同市の障害者青年団などに行ってお話を伺えました。そこで,今回はそのレポートを記したいと思います。


1.ハノイ赤十字社(3月4日訪問)

 代表のアン(LE NGOC AHN)さんとはこれまで2度ほどお会いしたことがあり,私としてもいわば顔馴染み。元高校の先生をされていたそうだが,ハノイ赤十字社の代表として活躍されている。早速アンさんの説明を要約したい。(なお[〜]内は私の感想やコメントです。以下同じ。)

 ベトナム全体に赤十字社は61あり,小学校〜高校,政府機関にも赤十字社がある。社員は12万人以上いて,青年も13万人協力している。

 赤十字社は、
  (1)社会奉仕,(2)健康維持,(3)国際・国内交流 などを目指している。

 ハノイ赤十字社は,ベトナム赤十字社の1つで,ハノイ市内の担当している。さらに,市内を12の地域に分けている。ハノイ市内には5000人以上の障害児がおり,1万4000人程の障害者(大人と子ども)もいるが,こちらは調査ができていないので,調査の必要がある。調査は毎年3回障害者を援助するために行う。あわせて生活保護世帯・身寄りのない老人・ストリートチイルドレンなども対象としている。調査は各地域の赤十字社メンバー(村長らが赤十字社のメンバーを兼任)が行っている。

 ハノイ赤十字社には11人のスタッフがおり,国からの援助が2万j(スタッフの給料と活動費)[もっともスタッフの給料は年間850万ドン=6000j位だそうだから安い]と各種カンパなど42万j[これで各種物資や薬品を購入するそうだ]などで運営している。


 ハノイ赤十字社はベトナム赤十字社に障害者の援助に関する提案を行い,2000年末に承認された。

 内容は,(1)健康維持 (2)教育 (3)家の修理 (4)生業援助 で,今までに3回対象者に金銭援助をした。その数は422家族で,1家族当たり100万ドン[日本円で約9000円程度]である。特にハノイ赤十字社独自で4つの学校・施設を援助している。

 それは,
(1)ニャンティン聴覚障害児学校(私立)−オランダの教会からの資金援助[2万ドル]を受け,一般教育と職業教育をしている。この学校は,アンさんが理事長になっている。お金のある家の子どもは有料で,貧しい家の子どもには無料である。全部で80人程が学んでいる。

(2)ザーロン聴覚障害児学校−ハノイ市役所とスイスから資金援助[7万ドル]を受けている。幼稚園から小学生40人程が学んでいる。先生の給料は市役所から支払われている。

(3)タイチー障害者教育センター−学校とはよばれていない。フランスの学生組合から資金援助[1万5000ドル]を受け設立。

(4)ロン・アン障害者センター−デンマークから資金援助[1万5000ドル]を受け設立。

 この内(3)(4)の先生たちはホーチミン市障害児教育研究センターで研修を受けたが,これからはハノイ師範大学に設けられた障害児教育センターに行くことになるだろう。これ以外にサクセンに障害児学校を開く計画であり,枯葉剤被害者(障害者)たちに今年のテト[ベトナムのお正月]に7万ドル分のプレゼントをした。


 私たちがこうした学校や施設以外の社会福祉施設などはないかと質問をすると,アンさんはいくつかの施設を教えてくれました。聞き取り方が下手なので,正しいものではないかもしれませんが,以下に列挙します。

1. 「特別のお母さん」−身寄りのない寡婦。視覚・聴覚障害者など53人がいる。
2. 第1センター[アンさんによれば,ベトナム共産党の大会毎にセンターが作られているようで,これは第1回党大会を記念してということです。以下も同じ]−ストリートチイルドレンなどを対象している施設。
3. 第2・5センター−元売春婦などの更生施設。
4. 第3センター−孤児・ホームレスなどの施設。
5. 第4センター−[内容が聞き取れませんでした]
6. 第6センター−麻薬中毒患者の更生施設。
7. SOS村−棄子のための施設。インドからの資金援助でできた。
8. HOLD−アメリカの資金援助でできた施設。栄養失調の子どもたちを預かっている。
9. 「暖かい屋根」−[どのような人たちを収容しているかは不明です]
10. ハンセン病患者収容施設−ハノイ空港の近くにセンターがあり60人程がいる。[ベトナムのハンセン病患者に対する対応などは日本福祉大学の斉藤文夫先生が別の機会に教えて下さるそうです。わかり次第また何らかの形で報告します。]


  全体を通じて私たちの感想は,ハノイでは赤十字社が社会福祉全般に対する支援などを行っているのだろう,ということでした。



2.バクマイ(BACH MAI)小学校(3月5日訪問)


 「この学校に日本人が来たのは3度目だ」とのっけから校長は語り始めました。以下校長の話を中心にまとめます。

 この小学校は50年前にできた。最初は竹の壁とドロの屋根の簡素な学校だった。1975年のベトナム戦争終了後新しい建物になった[きれいな校舎でした]。児童数は1100人で28クラスあり,その内1クラスが知的障害児のための障害児クラスになっている。このクラスは5年前にできた。ハノイにはこの学校を含め3校に障害児クラスがある。

 バクマイ小学校では、以前は障害児も健常児と同じクラスで勉強していたが,障害児が進級できないケースがあり,障害児クラスを設置しようという気運が高まり,特別のテキストを作成し学習することになった[ちなみにベトナムの小学校は5年制で、6〜11歳までが学びます。日本の義務教育と違うのは課程主義を採っているため,各学年毎に進級試験を受験し,これにパスしなければ次の学年に進むことはできません。この試験は健常児・障害児の区別なく受験することになっています。その結果、障害児は進級試験に合格することができない場合がママありますし,障害児たちは中途退学することもあります。]

 バクマイ小学校の障害児クラスには6〜16歳までの子どもたち14名が学んでいるが,この学校では進級試験をしない。障害児クラスの担当教員は2名。[日本のように教育大学や教育学部に障害児教員養成コースが確立していないこともあり]担当教員は障害児教育専門の資格を持っていないが,ハノイ師範大学障害児教育センターで短期研修を受けている。校長も「障害児教育は新しい分野であり、教育方法は未確立で難しい」と語っていました。


 この学校の障害児教育の目標は,障害児の社会参加を目指すことにある。つまり,字が読み書きでき,自分の身体を保ち,卒業後は就職して自立できるように指導するということ。残念ながら障害児クラスの子どもの中には,引っ越し,やむを得ず働かねばならなくなった,年齢が高くなったなどの理由から中途退学する子もいる。また,中学校に障害児を受け入れる基盤がないため進学はしない。

 授業科目は11科目あり,1授業時間は35〜40分。国語[ベトナム語]や算数は40分授業。音楽やコンピュータの授業は35分。[校内を見学させてもらった時,アコーディオンで男の先生が音楽の授業をされていましたし、スーパーマリオのようなゲームを使っておそらく低学年の子どもがパソコンに慣れるための授業をしていました。]

 この学校は3部制を採っているようで、午前だけの授業で帰る児童(7:30〜11:00),午後だけの授業に来る児童(13:30〜17:00),そして午前・午後共学校にいる児童(7:30〜10:30/昼食をはさみ/13:30〜16:30)がいるようです。午前だけ,午後だけの児童は無料だが,1日中学校にいる児童は昼食[給食]を食べるのでその分の費用は徴収している。[400人分の給食を用意しているそうです。]

 障害児クラスの子どもたちは,1日中学校にいるので,1ヶ月10ドルの給食費を保護者が負担している。[ちなみに給食費1ヶ月10jは、健常児も同じ額です。1ドルが私たちが渡越した頃およそ133円位でしたから1330円ということになります。これはベトナムの人たちにとってみれば決して安い額ではないと思います。]

 校内を見学させてもらった時,私が一番びっくりしたのは,教室の後ろににベッドがあることでした。もちろん昼寝のためのベッドです。[この国の人たちは朝早くから働いたり勉強したりする分昼寝をします。日本では保育所で子どもたちにお昼寝をさせますが,あれと同じようなものでしょう。]障害児クラスにはベッドがなかったのですが,ちゃんと工夫されていました。机を広げるとベッドに早変わりするのです。



3.サ・ダン(XA DAN)聴覚障害児学校(3月5日訪問)

 バクマイ小学校訪問の後ハノイ市内のサ・ダン聴覚障害児学校に行きました。バクマイ小学校と同様,校長先生からの説明を受け,校内を見学させていただきました。

 この学校は1978年にできた。当初は5人の先生と30人の生徒で始まったが,今では60人の先生と354人の児童がいる。クラス数は23あり,16クラスは一般[普通]教育,7クラスは職業訓練教育を行っている。設置当初は1棟の建物しかなかったが,ロト[宝くじ]の収益の一部や,副首相がもらったレーニン賞[平和賞だそうです]が寄付され,きれいな建物になった。

 学校は様々なところから援助を受けていて,この20年間で大きく成長し,聴覚障害児学校の代表校としてもっと良くしたいと考えている。[校内見学した時に様々な賞状などを飾った部屋がありましたし,ハノイ師範大学の障害児教育センターと協力してティーチャー・トレーニングコースを持っているそうです。]

 聴覚障害児学校といっても,この学校はインクルージョン[≒インテグレーション]教育をしているので,189人の聴覚言語障害児と165人の健常児が同じクラスで学んでいる。ベトナムの規則では,10人の内1人障害児を入れるが,ここでは20人の内1人が入っている。また,1クラスは35人が普通で,全く聞こえない児童[8〜10人位いるそうです]のために特別クラスがある。

 障害児は9年間の教育を受ける。前半の4年間で小学校1・2年生段階の教育を受け,後半の5年間で一般の教育と共に職業訓練教育[刺繍・織物・裁縫など]を受ける。教育方法は,元は補聴器を利用した口話法だけだったが,日本の学校で手話[指文字・アルファベット]を使っていたのでそれを取り入れようとしている。また,難聴児はクラスの前に席があり,口話法で学習し,担任の先生以外に体育・音楽などは専科教員が配置されている。

 この学校の卒業生の中には自分の刺繍ギャラリーや漆工場を持つ人もいる。卒業生のクラブ[OB会]があり,クラブの管理はサ・ダン校の先生が担当している。卒業生たちは,クラブで互いに協力したり,就職情報の交換や生活について相談したりしている。これ以外にハノイには成人の聴覚障害者団体があり,元はこの学校に拠点があった。校長の話ではハノイには4853人の聴覚障害者[大人と子どもを含めて]がいて,その内500人位は学校に行っていないそうです。入学前の聴覚障害児についても早期教育・訓練をしており、サ・ダン校の先生方が幼稚園などに連絡して対応している。

 校長と一緒に校内見学していると,授業中であるにもかかわらず教室の子どもたちが,一斉に立ち上がり挨拶してくれました。お客が来るとそうしなさいと日頃からしつけられているのでしょう。日本にはない習慣でしたからびっくりしました。さすが,モデル校だけはあるわいと思いました。また,教室の前で勉強していた難聴児たちが,先生と共に挨拶してくれました。貴重な授業時間を邪魔してごめんなさい。



4.ホーチミン市障害者支援センター(3月7日訪問)

 ここも私は2度目の訪問でした。このセンターは同行した日本人研究者によると元はポリオセンターだったそうです。1998年,障害者に関する基本法が制定されたことにより翌年,このセンターができたそうです。センターの所長から話を伺うことができました。所長は,昨年12月ハノイで開催された「アジア太平洋障害者の10年」の大会に参加された方でした。大会に参加された感想として,「たくさんの同じ仕事をしている外国人と出会い国際会議の意義を感じた。しかし,地方の障害者は国際会議について知らない。だからもっと実際的な行動をした方がいいと思うし,会議後の行動こそが大切で,会議の代表者も特定せず,色々な人たちに代える方が良い」と語っておられました。以下,所長の話を中心に要約します。

 このセンターはこれまで障害者[青年を中心に]に職業訓練教育をしてきた。それは今も変わりがない。[ただ、縫製の訓練など一部の教育を除き,新しい職種の訓練教育がなされていました。例えば、散髪や理容−同行した日本人が散髪してもらったり,枝毛をカットしてもらいました。練習を兼ねているということで無料だそうです。−などが新しいメニューに入っていました。前回(2000年)に訪問した際にあったバッタン焼きの研修は中止ないし終了していたようです。]

 センターは今年6月から隣接する場所に障害児学校を開校する。[現在は高校として利用している。]小学校から高校まで260人程の入学者を迎える予定である。ここでは一般教育と職業訓練教育を行う。学校は教育訓練省[日本の文部科学省にあたります]に属すが,このセンターが教育に携わる。一般教育は教育訓練省のカリキュラムに従い,2部制で授業を行う。精神病以外のすべての障害者を受け入れる予定である。現在までに100人程の入学希望者が来た。[私たちが訪問した時にも希望者がやってきました。]ホーチミン市周辺の人を優先する。クチからも入学を希望する人もいるが,寮が40人分位しかない。授業料はとっていない。寄宿生は1日1万ドン程の生活費[食費]が必要である。

 センターで教育訓練を終了しても社会参加が難しく,またセンターに戻ってくることもある。54%しか社会参加できていない。再教育する場合は無料で行う。また,センター出身者のグループがあり,センターで年2回程度交流会を行う。センターに寄付された物資を卒業生に与えることもある。

 上に記したように,センター内を見学して,新しい職種の教育が行われていることに感激しました。障害者がある決まった職業だけにしかつけないというのはどこの国であれおかしいことです。もちろん日本でもまだまだこうした現状があるのですが,ベトナムの人たちが工夫して色々な職種を学んでいる姿は本当に嬉しかったです。


 これら以外にホーチミン市障害者青年団も訪問したのですが、この団体についての詳しい報告は黒田学氏の報告(『第10回 日越友好障害児教育・福祉セミナー(2001年)報告書』に掲載予定)がありますので,割愛します。

 日本と比べてベトナムの障害児教育・福祉はまだまだという気もします。しかし,ベトナムの人たちはそれぞれ献身的な努力をおしまず,工夫しながら障害児教育や福祉を進めています。「確実に前進している」という感じが私にはしました。ベトナムに行く機会があったら,食事のおいしさや風景のきれいさ,お土産になる品物の安さだけに目を向けずにベトナムという国が抱えている社会問題や戦争の傷跡にも目を向けて下さい。