第3話:ベトナムという国から

 予備校講師から大学教員になって二年目の今年、日越友好障害児教育・福祉セミナー実行委員会のメンバーに加えてもらって、8月16日から24日までの日程でベトナムに行ってきました。
 
 ところで、中学生や高校生であるみなさんにはベトナム戦争という言葉はあまりなじみのないものでしょうね。
 でも、「ベト君、ドク君」のことならどこかで聞いたりしたことがあるでしょう。ちょうど私がベトナムに行っている時、入れ替わりにドク君が日本に来ていたので、テレビのニュースで見た人もいると思います。

 ベトナム戦争が完全に終わって今年の4月30日でちょうど25年経ちました。私は今でもこの日のニュースが忘れることができず、セミナー実行委員会の知人からの誘いにのったのです。そのニュースとは、南ベトナム政府の大統領官邸に祖国解放のための戦車が突入していくものです。私は今でもこのニュースを見た時のことをよく覚えています。

ここでごく簡単にベトナム戦争について説明しておきましょう。
 1975年までのベトナムは、北と南で政治や経済体制の異なる二つの国に分かれていました。そう、ちょうど今の南北両朝鮮と同じです。

 アメリカは、資本主義体制をとるベトナム民主共和国(南ベトナム政府)を支援するために、社会主義体制を敷く北ベトナムにさまざまな攻撃をかけたのでした。

 特に、北ベトナムを攻撃するために、枯れ葉剤を大量に散布し、それが原因で奇形児がたくさん生まれました。ベト君やドク君と同じように。

 戦争はたくさんの障害を持つ人をつくってしまいます。戦争によって傷つき手や足を切断しなくてはならなくなった人、精神的に普通の状態でなくなってしまった人など、人によりさまざまな障害や問題を引き起こすのです。

 それは攻撃を受けたベトナム人ばかりではありませんでした。攻撃する側のアメリカ人兵士も戦争が終わってから精神的な障害に苦しんでいる人がたくさんいるということです。

 戦争は、女性や子どもそして老人といった弱い立場にいる人たちをより一層苦しめたり傷つけたりするのです。8月のこのコーナーで私は「学童集団疎開」について紹介しました。みなさんと同じ年代の子どもたちが親から離れて何ヶ月もしんどい生活をしなければならなかった原因は戦争にあります。

 日本が戦争に負けて平和になってから55年の月日が経ちました。しかし、ベトナムはまだ25年しか経っていません。しかも、ベトナム戦争が終わってからも、中国やカンボジアとの戦争がひき続き行われたのです。戦争のために両親や親戚を亡くし、孤児になってしまった子どももたくさんいます。
 日本では平和が当たり前になり、平和を基礎に産業が発達しました。そして、日本が引き起こした戦争、アジアの人々を苦しめた傷つけた戦争のことを思い出す人々は少なくなってしまいました。

 でも、アジアの人々は忘れてはいません。

 こんなことを私はベトナムに行って考える機会を持つことができました。日本のことを考える時に日本でさまざまなことを知る必要があります。でも、外国に行くことで逆に日本のことに気づくこともあるのです。


 今回は日本史には全く関係のないお話になってしまいましたが、ベトナムに限らず世界中の国々が戦争をしない状態になることを願いたいと強く感じました。

 日本では10代の少年・少女たちが事件を引き起こし、大人たちはどうしていいのかわからなくなっています。

 何かいらいらした時などに少しだけ「想像力」を働かせて下さい。その人にとってはたった一度の攻撃にしか過ぎなくても、それが生涯、心や体の傷として残ることもあるのですから。

 戦争に置き換えれば、たった一度の発砲で、相手の命は失われるのです。彼の、あるいは彼女の人生はそれですべてのものを失ってしまいます。

 まだまだ暑い日が続きます。どうか元気で二学期を乗り切って下さい。